[放蕩息子のたとえ④]イエスが放蕩息子のたとえで伝えようとした神様の愛 2016年4月22日 // 0 Comments さて、放蕩の末に帰ってきた弟のために祝宴が開かれるようになりました。 そこへ畑から兄が帰ってきて家で何かが起きていることに気づきます。 ルカによる福音書15章25〜26節 :25)ところが、兄は畑にいたが、 [...]
[放蕩息子のたとえ③]父の深い愛と許し 2016年4月21日 // 0 Comments 放蕩の限りを尽くし散財し、食べるのにも窮するようになった弟(放蕩息子のたとえ①)。 父親からもう息子と呼ばれる資格はないことを覚悟して家に帰ることを決心しました(放蕩息子のたとえ②)。 ルカによる福音書15 [...]
[放蕩息子のたとえ②]放蕩の末、本心に立ち返り父のもとへ(おまけ:いなご豆とは?) 2016年4月9日 // 0 Comments 放蕩の限りを尽くし、お金を使い果たして、食べるに窮するようになった弟。 行く宛もなく、ある人のところに身を寄せて豚の世話をするようになります。 豚が食べるいなご豆を食べて腹を満たしたいと思うほどの空腹の中で、遂に本心に立 [...]
[放蕩息子のたとえ①]福音書の中の真珠とも言われた放蕩息子のたとえ 2016年4月6日 // 0 Comments ルカによる福音書に有名な一節がある。いわゆる『放蕩息子のたとえ』という話。 この放蕩息子のたとえに関して、何回かに分けて書き記したいと思う。 ルカによる福音書15章11節〜14節 :11)また言われた、「あ [...]
長き冬の終わりを告げる桜花のようなキリストの訪れ 2016年4月2日 // 0 Comments アダムからキリスト誕生以前までの旧約時代。 それは人類にとって長く寒い冬のような時代でした。 神との関係性の途絶と主従関係の旧約時代において人々の希望はキリストが来ることでした。 そう、まさに日本人の我々が桜の開花を待ち [...]