[偉人・有名人の聖書観①]学者シリーズ(人文・社会系)
世界一のベストセラーである聖書。
世界中の多くの偉人や有名人も聖書の素晴らしさを語っています。
偉人・有名人の聖書観シリーズとしてまとめたいと思います。
今回は人文・社会学系の学者シリーズです。
三笠宮崇仁親王
日本の皇族、歴史学者(専攻は古代オリエント史)、東京芸術大学名誉客員教授、大正天皇第四皇子、今上陛下の叔父上。(1915〜)
『私は戦時中に敵を知ろうと、キリスト教を調べ聖書にぶつかった。初めは文明を誇る白人がなぜこんなものを信じるのかと笑ったが、聖書が歴史的事実と知ったとき、聖書から離れられなくなった。』
※この言葉は古代オリエント史を専攻する殿下がなぜ歴史を学ぶようになったかについて述べたときのものです。
南原 繁
日本の政治学者で、東京帝国大学の総長も務めた。東京大学名誉教授。(1889〜1974)
内務省にはいり、日本最初の「労働組合法」草案の作成にかかわった。学生時代から内村鑑三によって影響をうけた無教会キリスト教の立場と、ドイツ観念論哲学の立場を基盤とした独創的な政治哲学を展開した。
『どれほど神仏に祈っても、しょせんは自分の無事幸福か、せいぜい家内安全を願うことに止まった私の心が、いまや、(聖書の語る)自分の罪を知り、それからのあがないとゆるし、神の御旨へと向けられるようになった。……私は、家庭において日曜日ごとに家族らに聖書の研究や話をした……』
矢内原 忠雄
日本の経済学者で東京大学総長。(1893〜1961)
第一高等学校時代に新渡戸稲造校長や内村鑑三の影響を受け、生涯のキリスト教信仰を得る。植民政策学者であり、キリスト教的な正義の立場から日本の植民政策を批判した。
『 聖書は学者の書であり、無学者の書であり、万人によって万人に学ばれるべく、万人によって解されるところの人類の書なのである。われわれが謙虚になって聖書をひもといて見れば、それ(知識)は最も基本的な形において聖書に示されておる。これを今日の社会情勢と、人間の知識の進歩と、世界の複雑性に照らし合わせて応用すればよいだけです。根本は聖書に示されている通りであります。』
隅谷 三喜男
日本の経済学者(専攻は労働経済学)、東京大学名誉教授、東京女子大学学長。(1916〜2003)
『旧約聖書も新約聖書も、神が歴史の中で働いてきたことを告白している書物です。』
学のある人ほど、行きつくところは聖書、ですね。