[偉人・有名人の神様観②]神の証明・無神論からの転換
偉人・有名人は神様をどのように考えていたのでしょうか。
偉人・有名人の語った言葉から神の存在について考えるシリーズ第二弾です。
ジョージ・ギャラップ
アメリカの世論分析家・統計家 George Horace Gallup(1901〜1984)
アイオワ大学卒。ドレーク大学ジャーナリズム学科主任(1929〜1931)、ノースウェスタン大学ジャーナリズム・広告担当教授(1931〜32)、コロンビア大学ピュリツァー・スクール・オブ・ジャーナリズム教授(1935〜1937)を歴任。
1935年にアメリカ世論研究所を創立して理事長となり、翌年にはイギリス世論研究所も創立した。
『私は統計学的に神を証明することができるといえます。たとえば、人間の体につ
いて考えてみてください。一人の体のすべての機能が造られるためには、どのくら
いの偶然が重ならなくてはならないのでしょうか。これを計算すると、統計的に見
て奇怪なほどの偶然が必要となります。』
アレクサンドル・ユーゾフ
旧ソビエト陸軍将校・思想教育を担当
『霊的領域はファンタジーだと強く確信していた私は、ソ連軍将校として無神論を教えるようになりました。
けれども、全く予想外でしたが、事態が変わり始めたのは、この講義の任務と関連していたのです。私は講師としての責任を真剣に受け止め、この主題について、できるだけ広く本を読もうと決心しました。そして読めば読むほど、結局、神はいるのではないかと、考えるようになったのです。
特に三冊の本が、それまで固かった私の考えをゆさぶりました。二冊はポーランド人の著者の本で、一方は『巡回伝道者の年代記』と言い、他方はただ『聖書物語』と書かれていました。両方とも、非常に客観的に書かれていて、私は気に入りましたが、神の存在と、神自身により霊感を受けた文献としての聖書の真実性について、賛否両論を提示していて困りました。
三冊めの本は、前の二冊以上に私の先入観を混乱させました。聖書の新約聖書の部分だったのです。無神論のよい材料を探していて見つけたものです。ところが読めば読むほど、固く保ってきた反宗教的信念に、ますます大きな疑問が出てきたのです。事実、聖書が真実ではないかとさえ思うようになりました。
今はもう、神が現実の方であって、私に神を信じ信頼するように願っていることを、完全に確信しています。かつて疑ったように、今は完全に、無条件に、神を強く信じています。
・・・新たなクリスチャンの友人たちが言うように、これらとその他の「神の恵みの不思議」を、ますます認め、楽しむようになりました。このような恵みは、神の助けを求めるすべての人に与えられます。
しかし、すばらしい新生面の知識と経験が開かれていくうちに、新たな問題も必然的に人生を悩ますことになつたのです。
・・・KGBとの”話し合い”に呼ばれたときに驚きはありませんでした。
・・・時間が経つうちに、尋問はますます厳しくなりました。
[注※その後、彼は旧政権下で迫害を受ける立場に立たされた]
このような迫害の問題や、家と家族から離れている苦痛が続いていても、もう二度と神を疑ったり、無視することはありませんでした。
神は、最も困難な状況の下でも、かつてないほどの平安と幸せを与えてくださった方だからです。
今個人的に神を知った私としては、いつでも、どんな形でも、神を完全に信頼することは、最も論理的なことだと言えます。
どれほど高くつくように見えても、あなたも神を信頼するように強くお勧めします。神を知り、その愛の暖かさを知ることは、神を信じた時に受けるどんな迫害をもつぐなって余りあるほどです。』
神様を直接見なくても、ちゃんとその存在は見えるようになっているんですね。
やはり、聖書は神様からのメッセージなんですね。心をうたれました。
人間の心が神様を感じられるように設計されているのを感じます
何かを突き詰めていくうちに神様の存在を知るってすごいですね。
神様を知って生きる人生を与えてくださったことに感謝します。
すごい証ですね。人に平安と幸せをもたらすものが、物質や環境ではなくて、神様からくるものだということを改めて感じました。
無神論から信仰者に転換するとは…やはり、聖書の威力は凄まじいですね。
一番いい信念をもってこそ、一番いい人生を送れると思います。神様を信じることが論理的だとはっきり言えることはすばらしいことですね。
極から極への転換。つきつめようとすれば、そうなるしかない、と改めて感じます。同時に、そこまで、突き詰めるステップをふまずとも、神様を信じることができるようになったことに感謝します。
人間の神秘さはふつふつ感じます。
その奇跡のような1人1人の価値を改めて感じるしかありません。神様、すごいです。