[愛の章①/コリント第一13章]愛がなければ…
コリント人への第一の手紙13章は愛の章と言われています。
何回かに分けて、この章を深く見ていきたいと思います。(シリーズ:愛の章)
:01)たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。
:02)たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。
:03)たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。
この部分は、◯◯だとしても愛がなければ意味がないという下りが続きます。
どんなに良い行いをしたとしても、どんなに能力があったとしても、もしその心に愛がなければ意味がない、無益だと聖書は語っています。
この聖書の御言葉は私たちの心の中心がどこにあるのか、その行いが形骸化してはいないかを問うています。
映画「マザー・テレサ」の最後のシーンにこのようなシーンがあります。
マザー・テレサが神様の愛を実現させるために設立した神の愛の宣教者会。
修道会が大きくなるにつれて、はじめの修道会の精神がだんだんと失われていきます。
最後のシーンで、マザー・テレサは原点に立ち返ろうと言います。
それはまさにこの聖書の言葉に立ち返ることでした。
愛がなければ何をしても無意味だ。
私たち一人ひとりはもう一度、この聖書の御言葉に立ち返って自分自身の行いを省みてみるべきではないでしょうか。
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