[愛の章③/コリント第一13章]最も大いなるもの、それは愛
三回シリーズとシリーズ:愛の章も今回が最後です。
引き続き、コリント人への第一の手紙13章を見ていきたいと思います。
:08)愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。
:09)なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。
:10)全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。
:11)わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。
:12)わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。
:13)このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。
愛の章、最後の一幕では最も大いなるものが何かを教えてくれます。
預言・異言・知識、これらのものがあったならばそれは素晴らしいことだと思います。
しかし、それらはいずれは廃れていくものであり、たとえ私達人間にどれだけ知識や能力があったとしても全知全能である神様の前では取るに足らないものです。
全きもの(すなわちキリスト)が来る時には廃れてしまうものです。
キリストはイザヤ書11章に書かれている通り、知恵と悟り、深慮と才能に溢れているからです。
:01)エッサイの株から一つの芽が出、その根から一つの若枝が生えて実を結び、:02)その上に主の霊がとどまる。これは知恵と悟りの霊、深慮と才能の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。
愛の章、最後の一節にはこう記されています。
『いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。』
そう、どんなものより大きく最後まで存続するものは信仰であり、希望であり、愛なのです。
どれだけ預言を受けることができたとしても、どれだけ知識があったとしても、どれだけ能力があったとしても、信仰・希望・愛がなければ無意味です。
そしてその中でも最も大いなるもの、それは愛だと聖書は教えてくれています。
愛、この一つのために私達は人生を生きるのです。
そしてその愛は神様の愛、キリストの愛、アガペーの愛なのです。
最後に、私の尊敬する牧師先生の言葉を紹介して終わります。
神様は人を選ぶとき、知識、容姿、身長、学歴、お金、名誉を見て選ぶことはなさいません。
愛を核としてご覧になり、愛一つを見てお選びになります。
三位一体とキリストを100%愛し、その心が変わらなければ、その一つのことを見て選んで貴重に思ってくださり、その霊魂を引き上げさせて、永遠に愛して一緒に生きてくださいます。
愛が核であり、目的です。
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