[今週の聖句]礼拝の価値について
今日は礼拝の価値について考えてみたいと思います。
キリスト教では礼拝が毎週日曜日にあります。これは創世記の天地創造において神が天地万物を創造されて7日目に休まれたことに由来し、安息日という言い方もあります。
:01)こうして天と地と、その万象とが完成した。
:02)神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。
:03)神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。
礼拝とはどのようなものなのか、一言で言うならば神と相まみえること、神様と会うことだと言えます。
旧約時代にはアブラハムをはじめとして人々は祭壇を築き、礼拝を通して神様と出会いました。
その礼拝の時間こそが神様と出会う時間でした。
さらに新約聖書では礼拝についてさらなる言及がなされています。
:24)神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」。
イエス・キリストは礼拝は霊とまこととをもってすべきだとおっしゃいました。
ここでのまことは英語ではtruthであり、真理のことです。(新共同訳聖書では真理と訳されています)
では霊と真理によって礼拝するとはどういうことなのでしょうか。ローマ人への手紙にその答えがあります。
:01)兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。
霊的な礼拝とは、自分自身を神様に喜ばれる生きた聖なる供え物として捧げるということです。
すなわち清い心、偽りのない心、真実な心で神様に出会うことこそ霊的な礼拝だと言えます。
礼拝とは神様と出会う時間です。
取るに足らない私たちですが、その私たちを愛してくださって、会いに来てくださる神様。
その神様の前に真実で偽りのない清い心を持って、真理にしたがって進み出る。
そのようなまことの礼拝を捧げられるようになりたいと思います。
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