感謝を忘れてはいけない [十人のらい病人] 2021年1月23日 // 3 Comments 十人のらい病人 新約聖書にこのような出来事が記されています。 ルカによる福音書17章11節〜19節 :11)イエスはエルサレムへ行かれるとき、サマリヤとガリラヤとの間を通られた。 [...]
隣人にあめ玉を。ある牧師の話 2021年1月17日 // 1 Comment これは私が尊敬しているある牧師さんの幼かった頃の話です。 その牧師さんの弟さんがお母さんから聞いた話を話してくださいました。 これは60年くらい前の話になります。1955年くらいのことでしょうか。 その牧師さんが小学生くらいの頃のことです。 [...]
[放蕩息子のたとえ④]イエスが放蕩息子のたとえで伝えようとした神様の愛 2021年1月15日 // 0 Comments 聖書の話〜キリスト教福音宣教会〜へお越しいただき、ありがとうございます。 さて、放蕩の末に帰ってきた弟のために祝宴が開かれるようになりました。 そこへ畑から兄が帰ってきて家で何かが起きていることに気づきます。 [...]
[放蕩息子のたとえ③]父の深い愛と許し 2021年1月14日 // 0 Comments 聖書の話〜キリスト教福音宣教会〜へお越しいただき、ありがとうございます。 放蕩の限りを尽くし散財し、食べるのにも窮するようになった弟(放蕩息子のたとえ①)。 [...]
[放蕩息子のたとえ②]放蕩の末、本心に立ち返り父のもとへ(おまけ:いなご豆とは?) 2021年1月13日 // 0 Comments 聖書の話〜キリスト教福音宣教会〜へお越しいただき、ありがとうございます。 放蕩の限りを尽くし、お金を使い果たして、食べるに窮するようになった弟。 行く宛もなく、ある人のところに身を寄せて豚の世話をするようになります。 [...]
[放蕩息子のたとえ①]福音書の中の真珠とも言われた放蕩息子のたとえ 2021年1月12日 // 0 Comments ルカによる福音書に有名な一節がある。いわゆる『放蕩息子のたとえ』という話。 この放蕩息子のたとえに関して、何回かに分けて書き記したいと思う。 ルカによる福音書15章11節〜14節 :11)また言われた、「ある人に、ふたりのむすこがあった。 [...]