[放蕩息子のたとえ③]父の深い愛と許し
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放蕩の限りを尽くし散財し、食べるのにも窮するようになった弟(放蕩息子のたとえ①)。
父親からもう息子と呼ばれる資格はないことを覚悟して家に帰ることを決心しました(放蕩息子のたとえ②)。
:20)そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。
:21)むすこは父に言った、『父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません』。
:22)しかし父は僕たちに言いつけた、『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。
:23)また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。
:24)このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』。それから祝宴がはじまった。
弟が家に帰ってくると父親は息子を見るやいなや息子に駆け寄ります。
そしてギュッと抱きしめて涙を流します。
父を裏切り放蕩の限りを尽くした弟は父に顔向けすることができず心苦しい思いを抱きながら告白します。
『お父さん、私は本当に悪い息子です。お父さんの愛を裏切ってしまいました。私にはもう息子と呼ばれる資格はありません。どうか許してくれるのなら雇人の一人として私をここにおいてください。』
しかし、父親は最高の着物を息子に着せ、子牛をほふって宴会を開きます。
そして父親はこう言います。
『死んだと思っていた愛する息子が生き返り、私のもとに帰ってきた。。これ以上に嬉しいことがあるだろうか。さあ、祝宴だ!』と。
弟は父の深い愛に熱い涙を流します。
[放蕩息子のたとえ④]イエスが放蕩息子のたとえで伝えようとした神様の愛
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