「瞬きの詩人」神への感謝と喜びに溢れた詩。水野源三
水野源三さんは9歳の時(小学4年生)に赤痢に罹って、その高熱の影響で脳性麻痺になってしまいました。
それ以来、口もきけず、手も動かず、足も立たず、ただ瞬きによってしか、自分の意志を伝えることができない身体になってしまいました。
どのようにして行うのかというと、家族の方がひらがなの五十音表を指さします。
その指先を見て、自分の伝えたい文字の所に来ると瞬くのです。
あるいは五十音を耳に聞き、表現したい音の箇所でまばたきます。
それを紙に書き留めてもらうのです。
たとえば、「神」と言う言葉を書こうとすれば、アカサタナの「カ」でまばたきし、「カキクケコ」の「カ」でまたまばたきします。これで「か」が伝わります。
次に、「アカサタナハマ」の「マ」でまばたき、次にマ行の「ミ」でまばたくのです。こうして「かみ」ということばを伝えるのです。
こんな不自由な中にもかかわらず、彼は何万という、詩や短歌を作り、多くの人を力づけ慰めました。
これが彼が「瞬きの詩人」と呼ばれる所以です。
47歳で惜しくもなくなられましたが、その死が近いある日、つぎのような短歌を詠んでいます。
「幾たびもありがとうと声だして 言いたしと思い今日も日暮れぬ」
わたしたちは手足が自由でも、口がきけても、朝から晩まで愚痴や不服を言って生きているのではないでしょうか。
それなのに、47年、結婚もできず、外の散歩も叶わず、花を摘む事すら許されず、食事も排便も人の手を借りなければならない状態にありながら、水野源三さんはキリスト者としての感謝の思いにあふれていたのでした。
この人を通してキリストを信じる事の素晴らしさ、またこの人が信じているキリストの素晴らしさがはっきりと、輝いて、現れていると言えるのではないでしょうか。
聖書は「すべての事について感謝しなさい」と教えています。(テサロニケ人への第一の手紙5章16〜17節)
私たちも、どのような大変な状況だったとしても「ありがとう」「感謝します」という言葉を忘れずに神様への感謝と喜びに満ちた人生を生きていきましょう!
とても、心を打たれました。
今与えられている全ての機能を使い神様に感謝を捧げたいです。