[他人と比較しない人生①]自分に与えられたものに感謝して生きよう
日本人は他人と比較し過ぎてしまう一面が多いように思います。
聖書を通して他人と比較しない人生について考えてみたいと思います。
聖書を見てみるとぶどう園の比喩の話があります。
これはあるぶどう園の主人がぶどう園で働いてくれる労働者を雇って1日の労働の対価として1デナリを払うという話です。
ある人々は夜明けに雇われて1日を働きました。またある人々は9時に、そして12時と15時にも同じように人々を雇いました。
そして17時にまだ何もせずにいた人々がいたので、その人たちも雇ってぶどう園で働くようにしました。
そして夕方18時になって1日の労働の対価として一人ひとりに1デナリを渡しました。
しかし、9時に来た人たちは17時に来た人たちも自分たちと同じように1デナリを受け取っているのをみて不平をもらしました。自分たちはもっともらえるだろうと思ったからです。
それに対してぶどう園の主人はこのように言うのでした。
『友よ、わたしはあなたに対して不正をしてはいない。あなたはわたしと一デナリの約束をしたではないか。自分の賃銀をもらって行きなさい。わたしは、この最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか。』
1デナリというのは当時の1日の労働の対価としては妥当な値段でした。
また主人が雇ってくれなかったならば1日じゅう仕事もなく無為に過ごしていたことでしょう。
ですから1デナリを与えられたことに感謝こそすれ他の人と比べることはお門違いだということです。
他人と比較する人生は苦しく自由のない人生です。
自分自身に与えられたものの価値を分かって感謝して生きることは人生を豊かにしてくれます。
他人と比較する人生を脱却し、与えられたものに感謝して生きる人生を生きていきたいものです。
:01)天国は、ある家の主人が、自分のぶどう園に労働者を雇うために、夜が明けると同時に、出かけて行くようなものである。
:02)彼は労働者たちと、一日一デナリの約束をして、彼らをぶどう園に送った。
:03)それから九時ごろに出て行って、他の人々が市場で何もせずに立っているのを見た。
:04)そして、その人たちに言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当な賃銀を払うから』。
:05)そこで、彼らは出かけて行った。主人はまた、十二時ごろと三時ごろとに出て行って、同じようにした。
:06)五時ごろまた出て行くと、まだ立っている人々を見たので、彼らに言った、『なぜ、何もしないで、一日中ここに立っていたのか』。
:07)彼らが『だれもわたしたちを雇ってくれませんから』と答えたので、その人々に言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい』。
:08)さて、夕方になって、ぶどう園の主人は管理人に言った、『労働者たちを呼びなさい。そして、最後にきた人々からはじめて順々に最初にきた人々にわたるように、賃銀を払ってやりなさい』。
:09)そこで、五時ごろに雇われた人々がきて、それぞれ一デナリずつもらった。
:10)ところが、最初の人々がきて、もっと多くもらえるだろうと思っていたのに、彼らも一デナリずつもらっただけであった。
:11)もらったとき、家の主人にむかって不平をもらして
:12)言った、『この最後の者たちは一時間しか働かなかったのに、あなたは一日じゅう、労苦と暑さを辛抱したわたしたちと同じ扱いをなさいました』。
:13)そこで彼はそのひとりに答えて言った、『友よ、わたしはあなたに対して不正をしてはいない。あなたはわたしと一デナリの約束をしたではないか。
:14)自分の賃銀をもらって行きなさい。わたしは、この最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。
:15)自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか』。
:16)このように、あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう」。
はじめまして。ワインと申します。
今回イチロー様が書かれている記事のマタイの20:1~16は私の大好きな聖書箇所の1つです。それ故、コメントをさせて頂きたくなりさせて頂いております。
数年前、聖書の勉強会でこの箇所が取り上げられ涙が止まりませんでした。
朝早くから仕事を求めに出てきたのに夕方まで仕事を貰えなかった人達の気持ちはどうだったであろうかと・・・。
この時代は差別も酷い時代で、差別をされている人達は仕事もなかなか貰えない・・。
元気な若者や、差別をされていない人達が、朝から仕事えお貰えているのに自分達はそれを見送るだけしか出来ない・・・。
元気な若者が仕事を貰えるなか、それを見送るしか出来ない身体の不自由な人がいたかも知れない・・。お年寄りもいたかも知れない。子供を飢えさせない為切実に仕事が必要な人達もいたことでしょう。収入が無ければ弱くなった親を守りきれない切実な人達も・・・。
朝から仕事を貰える人達を見送る、そういった人達の気持ちは、どうだったであろうと・・・。
胸が痛すぎます。
しかし、今現在もこの様な現実は続いています。
「後の者は先になり・・・」そういう世の中がきてほしいと願います。
後にされている者が泣かない世の中に・・・。
イチロー様、大好きな、聖書箇所を取り上げてくださり有難うございました。
ワイン様、コメントありがとうございます。
少しでも琴線に触れるような記事を書くことができ、甲斐を感じています。
全ての人を愛してくださるキリストの愛を私たちがこの世で実践する時に真にだれも泣くことのない世の中になると思います。
これからもワイン様はじめ多くの方に読んでいただけるサイトになるように精進したいと思います。
ありがとうございました。