[今週の聖句]信仰とは行いであり生である
毎週恒例の主日の御言葉の聖句を熟考するシリーズです。
明日の礼拝での聖句はこちら。
:14)わたしの兄弟たちよ。ある人が自分には信仰があると称していても、もし行いがなかったら、なんの役に立つか。その信仰は彼を救うことができるか。
:15)ある兄弟または姉妹が裸でいて、その日の食物にもこと欠いている場合、
:16)あなたがたのうち、だれかが、「安らかに行きなさい。暖まって、食べ飽きなさい」と言うだけで、そのからだに必要なものを何ひとつ与えなかったとしたら、なんの役に立つか。
:17)信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである。
信仰については以前も書きましたが、この聖書の聖句を読むと自分自身の信仰について深く自問するようになります。
ヤコブの手紙では言葉だけの信仰、行いのない信仰は死んだものだと言及しています。
着るものもなく凍えている人がいても可哀想だなと思うだけで自分の着ているものの一枚も手渡してあげられない。
食べることもできず空腹に耐えている人いても自分の食べているおにぎりを半分あげることもしない。
それは単なる偽善であり、真の愛、真の善ではない。
信仰もそれと同じくそうなのです。
信仰を持っているとしても、
本当にキリストの心で人を愛して生きているのか。
キリストのように祈っているのか。
真実な心で賛美を歌っているのか。
その一つひとつを省みて明日の礼拝に臨みたいと思います。
皆様にも主の平安に満ちた主日があることを祈ります。
本当にそうですよね。その通りです。
一人で沢山の人を不幸にすることは簡単に出来ても、たった一人の人を幸せにする事がどれだけ大変で難しいことか・・・と実感する毎日です。
「信仰とは行いで生である」とてもとても勇気づけられる言葉です。
神様、弱すぎる私に力をお与え下さい。と祈らずにはいられません。
「信仰とは行いで生である」。明日からくじけそうになったら、この言葉を何度も自分にかけたいと思います。
素敵な言葉を本当に有難うございました。
またコメントありがとうございました。
「信仰とは行いであり、生活だ、生だ」
私の尊敬している牧師先生が良くおっしゃっていた言葉です。
私の好きな言葉の一つです。
今後もよろしくお願いしますm(_ _)m