[今週の聖句]罪のない人は一人もいない。だからこそキリストが必要だ
毎週恒例の主日の御言葉の聖句を熟考するシリーズです。
明日の礼拝での聖句はこちら。
マタイによる福音書9章13節
:13)わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである。
:23)罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。
今回は罪というのがキーワードになりそうです。
今回の記事のタイトルの通り、この世に罪のない人はいません。
ローマ人への手紙3章10節には『義人なし、一人だになし。(文語訳)』『義人はいない、ひとりもいない。(口語訳)』と書かれています。義人は一人もいないと書かれています。
この世で生きる人の中で神の前、キリストの前で罪のない者は一人もいないのではないでしょうか。
(ここでの罪は人が定めた法に反する罪ではなく、神様の法に反する罪のことです)
御言葉に従って1mmも外れることなく生きている人がどこにいるでしょうか。
しかし、聖書でキリストはこのように語っています。
『私は罪人を招くために来た』と。
そしてローマ人への手紙にはこのように書かれています。
『神のプレゼントはキリストによる永遠な命だ』と。
罪を解決できるのはただキリストだけです。
キリストの背負った十字架によって私たちは罪から解放されるようになるのです。
キリストは私たちが罪の中にあるということを知っておられます。
私たちの負の部分、間違っている部分、足りない部分etc…それら全てをご存知の上で、私がその罪を解決してあげるとおっしゃっているのです。
だからキリストが必要のない人はいないのです。
私たちがすべきことは、ただキリストの前に進み出ることだけなのです。
最後にこちらは以前、他のブログで書いたものです。
キリストは道です。道がなければ目的地に到達することができないように、キリストを通してでなければ私たちは神様にたどり着くことはできません。
だからキリストが必要なのです。
罪多き私たちと神様とを仲保してくださる唯一の方、キリスト。
私たちはキリストなしには生きることはできないのだと改めて感じた
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