「らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」という聖句の深みと面白み

らくだが針の穴を通ることができるのか

今日はイエス様のおっしゃった「富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」という御言葉を考えてみたいと思います。

今日の話はまさに目からうろこです。

 

聖書の舞台というのは中東やヨーロッパです。

そのため、日本語の聖書はすべて翻訳されたものです。(←当たり前ですが)

聖書を理解するときに翻訳されたものであるということを知っていると、とてもよく理解することができます。

私に聖書を教えてくださった牧師先生も聖書を読むときは「時代背景・歴史的背景」を知らなければならないと教えてくださいました。

では、早速聖書を開いてみたいと思います。

 

マタイによる福音書第19章16節~30節

:16)すると、ひとりの人がイエスに近寄ってきて言った、「先生、永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか」。

:17)イエスは言われた、「なぜよい事についてわたしに尋ねるのか。よいかたはただひとりだけである。もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」。

:18)彼は言った、「どのいましめですか」。イエスは言われた、「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。:19)父と母とを敬え』。また『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』」。

:20)この青年はイエスに言った、「それはみな守ってきました。ほかに何が足りないのでしょう」。

:21)イエスは彼に言われた、「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。

:22)この言葉を聞いて、青年は悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。

:23)それからイエスは弟子たちに言われた、「よく聞きなさい。富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。

:24)また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。

:25)弟子たちはこれを聞いて非常に驚いて言った、「では、だれが救われることができるのだろう」。

:26)イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはそれはできないが、神にはなんでもできない事はない」。

:27)そのとき、ペテロがイエスに答えて言った、「ごらんなさい、わたしたちはいっさいを捨てて、あなたに従いました。ついては、何がいただけるでしょうか」。

:28)イエスは彼らに言われた、「よく聞いておくがよい。世が改まって、人の子がその栄光の座につく時には、わたしに従ってきたあなたがたもまた、十二の位に座してイスラエルの十二の部族をさばくであろう。

:29)おおよそ、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、もしくは畑を捨てた者は、その幾倍もを受け、また永遠の生命を受けつぐであろう。

:30)しかし、多くの先の者はあとになり、あとの者は先になるであろう。

 

同様の内容はマルコによる福音書第10章17節~31節ルカによる福音書第18章18節~30節にも書かれています。

 

あらすじはこうです。

ある一人の青年がイエス様に「永遠の命を得るためにはどうすれば良いのですか?」と質問をしました。

イエス様は青年に対して、いましめを守りなさいとおっしゃいましたが、青年はそのいましめは守っていると言います。

それに対して、イエス様はこう返しました。

「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」

それを聞いて、お金持ちだった青年は悲しみながら立ち去って行きました。

そして、その後にイエス様がおっしゃった御言葉がこれです。

「富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」

 

みなさん考えてみてください。らくだが、針の穴を通ることができるでしょうか?

らくだが針の穴を通ることができるのか
らくだが針の穴を通ることができるのか

らくだが針の穴を通ることは到底できないでしょう(←当たり前)

らくだは針の穴を通ることはできない
らくだは針の穴を通ることはできない

針の穴に糸を通すの大変ですよね?ましてやらくだなんかが通るのはなおさらでしょう。

 

さて、ここで考えてみたいのがなぜイエス様がらくだを用いて話されたのかということ。

この論理で言えば牛でも豚でも鶏でもなんでも良かったのではないでしょうか?

ここで興味深いのはヘブライ語の聖書ではこのように記述されているということ。

“.קל יותר לחבל להכנס בנקב המחט מאשר לעשיר להכנס למלכות האלהים”(富んでいる者が神の国にはいるよりは、綱が針の穴を通る方が、もっとやさしい)

ラクダ(ガマル:גמל)ではなく、綱(ヘベル:חבל)と書かれているのです。

なるほど、綱ね
なるほど、綱ね

針の穴に通すのは糸。

そして糸よりも太い綱。

なるほど、綱であればイエス様がおっしゃった御言葉の意味がより一層納得できます。

ではなぜ、日本語の聖書にはらくだと書かれているのでしょうか?

 

ここで大事なのは「時代背景」イエス様が当時使われていた言語はアラム語。

アラム語でらくだはגמלא(ガムラー)だそうです。

そしてגמלא(ガムラー)には四つの意味があります。

①ラクダ

②舟の綱

③大蟻

④垂木

そう、らくだと綱の両方の意味があるのです。

日本語の聖書がらくだとなっているのは、イエス様の御言葉が口伝される途中でらくだという意味で広まったからなのかもしれません。

 

また、僕はもしかしたらイエス様が「らくだ」「綱」の両方の意味をもって話されたのではないかと思っています。

ウィットに富んだ表現ではないのかなと思っています。

綱が針の穴を通るというのは糸との比較でとても論理的な話ですし、らくだが針の穴を通るというのも到底不可能なことで面白い表現です。

イエス様の一つの御言葉はまさに一冊の本のように面白みがあるものに感じられるものだと感じざるを得ません。

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